アトリエ青海波について
〇理念
物質文化が夢の間の進化を遂げる一方で、日本人の幸福度ランキングは年々下がり2021年度で56位といわれています。自殺者が増えるなど、物や地位が豊かになっても心が伴っていないということを示しています。精神面が立ち遅れている現代社会、近年識者の間でも注目されている「アートの力」が心の豊かさに大いに貢献できると知られてきました。「アートの力」は人々の心に糧を与え趣味を豊富にし、情操を高め、その先に生きる意味や喜びを感じることができる。「アトリエ青海波」は大津絵を中心に茶道や生け花などの日本文化を取り入れ、物心両面の豊かさを求める、そんなライフスタイルを提案してまいります。
《穏やかに広がる琵琶湖の波と比良山系》
〇「アトリエ青海波」命名の由来
水面に連なりゆく、穏やかな波を表した日本の伝統文様「青海波」。
飛鳥時代にシルクロードを経て日本にもたらされたこの模様は陶磁器や、着物などの意匠に用いられ、時代を超えて人々の間で広く親しまれてきました。無限に広がる穏やかな波に、「未来永劫に平穏な暮らしが続きますように」という願いが込められた吉祥文様です。
「琵琶湖」の恩恵のもとで発展した「大津絵」の中にも、この青海波文様が様々な画題の中に描かれています。「琵琶湖」と「大津絵」とのご縁から「アトリエ青海波」(商標登録済)と名付けました。
《大津絵にみられる青海波模様》
「明智左馬之助」 「恵比寿」
〇大津絵のはじまり~現在~未来
江戸時代初頭より東海道の宿場町、大津追分あたりの街道で生まれた民画、大津絵は算盤や針などの特産品と共に土産物として発展しました。当時40件ほどの様々な店が連なり「大津絵の店」も点在していました。名もなき画工たちによって制作販売されていました。当初庶民の為の仏画から始まり、その後美人画や風刺画などが加わり買い求める旅人らの手によって全国へと広がり、日本を代表する民画へと発展していったのです。
しかし、明治期に入り鉄道の開通などにより街道を行き交う人が激減、いつしか忘れ去られた存在になってしまいました。そんな中で伝統を守り継承された方のひとりが2018年に他界された私の師匠でもある4代目高橋松山氏であります。
「アトリエ青海波」では、この「大津絵」の普及発展の為、独特の技法や色合いなどの伝統を守りながら、現代の若い人たちにも受け入れられるような新しい感覚を取り入れ、大津絵展示会や作品販売、体験教室を随時開催しております。そして滋賀から日本全国へ、さらに世界へ向けて発信してまいります。
《体験者の様子》
〇大津絵との出逢い “これは、いったい?”
初めて「大津絵」に出会ったのは昭和60年代、とあるギャラリーでのことです。真っ黒な木彫像の鬼の寒念仏でした。正直美しいとは思えませんでした。
「これは、いったい何なのだろう?」
瞬時に興味と疑問が湧き上がってきたことを今でもよく覚えています。
そのころから美術鑑賞が好きになり美術館などで日本画や大津絵などを見かけると、自分が描いてみたい衝動にかられたものでした。
それから20年の歳月ののち、ひょんなことから大津絵の第一人者、大津市無形文化財保持者である4代目、故高橋松山氏と運命的な出会いをすることになるのです。(詳細は別の機会といたします。)
《体験教室で指導の様子》
《制作の様子》
《ドイツフランクフルトの展示会場の様子》
《関係者と共に》 《レセプションパーティー》